私の中の「看護師」を変えてくれた出逢い

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看護師でいることに迷いが生じた頃

ICUで働いていた頃、一度看護師から離れようかなと考えていた時期がありました。
新人の頃は目の前のことに精一杯で、先のことなど考えられずに、勉強すべきことに追われていました。
新卒で所属されたICUでは、三次救急患者、術後ICU管理患者、院内救急患者、先天性心疾患術後患者など全般の全身管理ができるようになることと、プリセプターやリーダー業務を習得するという5年のカリキュラムが組まれていたので、就職した時点で「5年はここで看護師の基盤をつくろう」と決めていたのですが、
2年目〜3年目の頃に、
命として生きていることと、意志を持って生きていることが、こんなにも違うんだと目の当たりにし、
自分はどう生きたいのか意志を持って生きているだろうか、
何をしたいんだろうか、
なんのために生きているんだろうか、
私の人生はどう描かれていくんだろうか、

と、考えるようになりました。
もちろん、先輩方は看護師としての知識・技術・患者さんとの関わりなど尊敬することが多く、私もそんな看護師になりたいと思わせてもらえる方もたくさんいました。
でも、数年間同じような愚痴内容で、同じような生活リズムで、役割と責任は大きくなり、人生として考えた時に、ライフスタイルに憧れたかというとそうではなかったのです。
勘違いしてほしくないのは、先輩方のライフスタイルを否定しているのではなく、私自身は、憧れなかったというだけです。
同じことだけをしていたら、同じ道を歩くことになるので、教育カリキュラム上で必要なことや患者を看るにあたって必要なこと、後輩教育のために必要なことはもちろんちゃんとやりながら、違うことも始めました。

医療職者ではない人とのたくさんの出逢い

看護師3年目の頃に、大学時代の部活の先輩(看護師)とFacebookで繋がり、すごく楽しそうな投稿ばかり。
同じ看護師なのにこんなにも違うということは、看護師という職業の問題ではなく、自分次第であることに気付きました。
その先輩に「楽しい場に私も誘ってください!」と伝え、誘われるものにはとりあえず行ってみました。
行ったことがない場所、行ったことがないコミュニティ、先輩以外に知り合いがいない場、これまで関わったこともなかった職種の人がたくさんいる場、とりあえず行ってみました。
そこで気付いたんです。
私の視野がものすごく狭くて、その狭い視野の中だけで右往左往していたということに。
クラブに行くようなガラではないけど誘ってもらったから行ってみましたよ(笑)
やっぱり私には楽しみ方がわからない場所だった。
でも、行ってみてもいないのに「そういうのはいい」と言うより、行ってみて「私にはちょっと違ったみたい」と言えるほうがいいなと思います。
今までに経験したことがあることばかりを選択すると、今までと同じような選択の連続で自分の未来はつくられていく。
今までに経験したことがないようなことを選択してみると、これまで想像していたのとは違う未来を想像できるようになる。

医療職者ではない多くの人と出逢い、会話して、この感覚をつかませてもらったことが、私の人生の転機かもしれないですね。

夢リストを書いた

夢リストを100個書いたらいいと言われ、素直に100個書こうとしました。
全然埋まらない(笑)
行ってみたい場所はないか探し始める。
やってみたいことはないか探し始める。
どんな家に住みたいか探し始める。
欲しいけど諦めていたものや我慢していたことはないか探し始める。
そうすると、「どうせ無理」と勝手に思っていたことがたくさんあることがわかり、
行ってみたい場所ややってみたいことは、誰と一緒に経験したいのかによって優先順位も変わってくることに気付きました。

「楽しいことないかな」が口癖だった私ですが、楽しいこといっぱいあるじゃん!となりました。
そう、ちょっとだけ外に目を向けて、実現可能かどうかは考えずに欲求のまま書いてみると、自分の本心を見える化できたんですね。
この夢リストの中に、私の場合は、看護師の要素も含まれていたんです。
ICUの患者さんを毎日看ていて、自分自身の生活リズムは乱れ、なんのために生きるんだろうというスパイラルにハマっていたので、意外な発見でした。
私は看護師でいたいんだ。

ある家族との出逢い

ちょうど一つ目の職場を退職する頃、私よりも早くICUを去っていった後輩とバッタリ会い、「紹介したい人がいるんです」と出逢わせてくれたのが、先天性の気管狭窄症で気管切開をしている元気な女の子Aちゃんとその家族。
この家族との出逢いが、私の看護観を大きく変えてくれました。

看護師ボランティアチームに参加

幼稚園の年長さんだったAちゃんが熱を出したりすると、ママは徹夜で看病して疲弊してしまうため、泊まりに行ってママに少しでも休んでもらったり、徹夜明けのママをみかねてパパからSOSがある時にお家に行ってママに少し寝てもらったりと、ママパパの周りの看護師で組まれた看護師ボランティアチームがあったのです。
派遣で単発のバイトをして半年くらいゆっくり過ごそうと思っていた時でしたし、看護学生時代に居宅ヘルパーのバイトを経験して在宅看護にも興味があったので、この看護師ボランティアチームに参加させてもらいました。

パパが脳出血で救急搬送

ボランティアチームに参加して約1年が経ち、Aちゃんが小学校に上がる前の春休み、パパが脳出血で倒れました。
Aちゃんのお兄ちゃんが救急車を呼び、小学生だったお兄ちゃんは一人で救急隊とともに病院まで付き添いました。
私達には計り知れない心情だったと思います。
病院に搬送されてからママに連絡が入り、ママはちょうどその後に会う予定だった友人にキャンセルの連絡をし、その友人が、私との共通の友人に連絡をしてくれたようで、私に「緊急事態!ママは病院に行っていて、Aちゃんはおばあちゃんと一緒に家にいるみたいだから、行ってあげれるかな!?」との連絡があり、仕事後に急いで家に向かいました。
ママは泣きはらした目で表情がなく一点を見つめて呆然とした状態で、お兄ちゃんは平然を装った様子で、帰宅しました。
玄関で出迎えた時の光景を鮮明に覚えています。
心配して駆けつけていた友人達も帰っていき、Aちゃんとお兄ちゃんとおばあちゃんが寝てからも、ママは眠れそうになかったので、明るくなるまで2人で話していました。
夫の生命の危機、障害者手帳のある子供、2人の子育て、経済的負担、いろんなことが家族の危機的状態にある時に、ママがこう言ったのです。
「たった1人に伝えただけなのに、病院にも家にも駆けつけてくれる人がいた。そんな仲間がいることが財産」
「みんな幸せになったらいいな」
こんな状況でも、第三者の幸せを願うなんて、なんて人なんだ。
この人を支えなきゃ

そう強く思いました。

怒涛の1週間

パパが倒れたのは、Aちゃんの気管拡張手術の1週間前でした。
北海道では手術ができないので、道外の病院に入院して手術をすることになっていたのです。
やっと待ち望んでいた手術ができるとパパも喜んでいたので、パパもAちゃんの手術が予定通りに行われることを望むでしょうということで、Aちゃん家族と看護師ボランティアチームで「1週間後の手術に向かうこと」が目標になり、動き始めました。
その間に、パパの緊急手術もあり、ママの精神状態はとても見てられる状況ではありませんでした。
ママはパパの病院にも行かなければならないし、おばあちゃんは気管切開をしているAちゃんのケアをしてきたわけではないので、看護師5人でAちゃんの24時間サポート体制を作り、それぞれ仕事をしながらサポートのシフトを組んで、1週間を乗り切りました。
私自身も、週の半分は家に帰らず、サポートに入りました。
数年経って、ママや当時のサポートに入っていたメンバーと話すと、「あの1週間は、もう一度はできないよね。本当に全員が限界ギリギリの1週間だった」と思い出します。

この経験から気付かせてもらったこと

「仕事だから」でやる看護ではなく、「この人のために」「この家族のために」でやる看護をやりたかったんだ。
たまたま看護師という資格を持っているから、看護師という職業で得た知識や技術や情報を提供することはできる。
新卒でICU配属になり、ストレスで過食なのに体重は減っていく時期があったり、生きてるってなんだろうというスパイラルにはまって眠れない時期があったり、本当に辛い時期もあったけれど、その中でも必死にしがみついて身につけてきたことが、身近な人の役に立つことがあるならば、経験してよかったのかもしれない。
でも看護師という資格にとらわれず、私自身にできること、私だからできること、私を必要としてくれる人のためにできること、をやりたい。
そう思わせてもらって、私の中での看護師というポジションが再構築されました。


Aちゃんは、数ヶ月おきに道外の病院に通い、数回の気管拡張の手術を乗り越え、気管切開孔を閉じることができました。
みんなが当たり前にしていた水遊び、入浴、プール、海水浴、外で遊ぶこと、激しい運動などなど、今では思う存分できます。
パパは今でも入院生活をしていて、年に数回外泊するときには、お手伝いに行っています。
パパが倒れたときは、Aちゃんは小学校に上がる前で、お兄ちゃんも小学生だった。
そんな子達が大きくなり、パパのケアをしている。なんだか涙があふれてきます。
私の看護観を大きく変えてくれたこの家族に感謝しています。
看護師が好きだと言えるようになりました。

もし、この家族に出逢えなかったら、仕事としての看護師をして、もやもやし続けていたかもしれない。
この経験を話すと、今に悩んでいる看護師はそれぞれ何か感じ取ることがあるようで、次の一歩に向かうキッカケになる人に数人出逢いました。
私が経験させてもらったことを、私だけのものにせずに、誰かの何かのキッカケになることがあると感じたので、私自身の経験をこのブログでも伝えていこうと思います。

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