アメリカ・オレゴン州での尊厳死に携わった看護師の話から感じたこと

看護師お役立ち/転職情報

アメリカ オレゴン州での看護師経験のある かたぎり ゆりこ さんの講演を聞いてきました。
自分の生き方は自分で決めるという考え方や、その生き方をサポートするチーム医療に、すごく感銘を受けました。

アメリカの看護師・介護士

アメリカの看護師・介護士の資格は、州によって法律が違うため、州ごとに発行されるそうです。
看護師も、ベーシックな免許があり、「この種類の薬剤を投与できる資格」「◯◯をしてもいい資格」などプラスでいくつも資格を取得していくシステムになっています。
さらに、日本のように免許をとったら更新がないわけではなく、1年に1度、研修と更新があるので、看護師でい続けるためには、新しく学ぶということを続けなければいけません。
介護士も、ベーシックな免許に、プラスで資格を取得していくので、一言で「看護師」「介護士」といっても、レベルも様々、できることも様々、給料も様々。

日本では、身につけてきたことや現場での仕事量の差などは関係なく経験年数だけで給料を決められていて、専門職者の個別性が評価されない病院・施設がほとんどですが、アメリカでの看護師・介護士は、それぞれの努力が評価されるシステムになっているなと感じました。

オレゴン州は、看護の視点から見るとどんなところ?

  • 尊厳死が認められている
  • 同性愛者の結婚が認められている
  • 医療用マリファナも使用されている
  • アニマルセラピーを最初に導入した

福祉の分野は北欧が進んでいるとよく耳にしますが、北欧は、高い税金によって財源を確保し、医療・福祉・教育などを手厚く受けられるようになっていますよね。
オレゴン州は、現場の介護士やケアを受ける高齢者から発信し、オレゴン州の福祉を変えてきた歴史があるそうです。
もともと、介護士は、移民や仕事がなかなか見つからない人などがなるものであり、地位の低い職業でした。
仕方ないから介護をするというポテンシャルで仕事をしている人から介護を受けていた高齢者が、こんなんじゃ嫌だ!と声をあげたそうです。

オレゴン州は、公共交通機関が無料(現在は無料ではない)、消費税がない、土地が安いなどの理由から、最期をオレゴン州で過ごしたいという人が増え、高齢化率が高い州となりました。
自身の最期を考えて移り住んでくるわけですから、投げやりにケアされたくないですよね。
ケアを受ける高齢者からの声で、介護というものが変わり、「自分の生き方を自分で決めたい」という意見も多く、人生の最期を自分で決める「尊厳死」というものも考えられるようになったと、話されていました。

好きなことをして生きようという考え方

オレゴン州に限らず、アメリカでは、「病気になったら入院生活」という日本のような習慣はなく、「余命が少ない人ほど、病院にいないで好きなことをして生きよう」という考え方がベースにあるそうです。

日本の医療・福祉しか知らないでいることは、本当に狭い視野になってしまうんだなと感じた話題でした。

「本人がなんでも決める」「本人が生き方を決める」という価値観は、現代の日本には馴染みが薄いように思います。
私が約10年看護師をしてきたなかで、急性期、在宅、ボランティアと様々なかたちで看護師という職業を通してケアに関わらせてもらってきましたが、主体が本当に本人にある例は多くないと思っていましたし、どうしても、患者の人生の中に医療職者がお手伝いするという感覚ではなく、病院・施設のタイムスケジュールや制度に患者・利用者が合わせるという印象を受けてしまいます。
どんな病院・施設で働いても、訪問看護をやってみても、私は、どうしてもこの違和感を感じてしまうのです。

もっと、患者本人がやりたいことを実現できるように、それぞれの職種の専門性を発揮できるようなかたちをつくれないものかと、日々妄想しているので、この価値観に共鳴する人ともっと繋がっていきたいとも思いました。

尊厳死

オレゴン州では、尊厳死が認められています。
州ごとに法律が異なるので、アメリカ全土で尊厳死が認められているわけではなく、オレゴン州では認められています。

余命の宣告を受けた時に、余生をどのように生きたいかを患者本人が決めます。
しかし本人の意思と家族の思いにギャップが生じる場合もありますよね。
その思いを聞き、橋渡しになるのが、看護師や介護士です。
死までの期間をどのように過ごしたいか、本人の意思を尊重して、医師が死までのプランを提案し、本人や家族と一緒に決めていき、疼痛コントロールや最期を迎える時に使用する薬剤の管理は、薬剤師が行います。
1人の患者に対し、多職種がチームでサポートしていきます。

講演の中で話されていた例を紹介しますね。

ステージ4のがん患者

子宮がんで腹膜転移していたため、治療をするか尊厳死を選ぶかの選択をする場面がありました。
この方は、治療をすることを選択しました。
入院して、病状や今後の方針を決める時、日本では、患者・家族、医師、看護師、たまにソーシャルワーカーというメンバーで話すことが多いですよね。
アメリカでは、「あなたのチームです」と10人くらいを紹介されます。
もしも自分には合わないと思う人がいたら、途中で変更してもらうことも可能です。

私が驚いたことは、主治医ががん専門医ではなく精神科医であったこと。
治療をするにあたって一番大事なことは、患者本人のメンタル面であるため、主治医は精神科医なんだそうです。
そして、入院期間は極力短くして、病院の近くに病院が用意した住宅で暮らし、制限はなく好きなことをして過ごします。

毎朝主治医からのメールが来て、返信したければするししたくなければしない、既読にすることで生存確認はされる、「暇すぎて死にそうだ」と返信すると「暇で死ぬ人はいないから大丈夫」との明るい返信と、チームのソーシャルワーカーから「出かけてみてはどう?」と、近くでやってる無料イベントの情報が送られてくる。

入院中に何をしたいかと尋ねられた時に「焼肉を食べたい」と言うと、フリーペーパーに「がん患者が焼肉を食べたいと言っているので実現させてあげたい」ということが掲載され、コリアンタウンからボランティアで焼肉が運ばれてきて、「この焼肉で喜んでもらえるなら僕たちも嬉しいです。お代は不要です。これは僕たちからの愛です。」とのメッセージが書かれていたそうです。

日本で「がんの治療中」「がんで療養中」と聞くと、いろんなことを我慢して入院生活を送っている人が多いように思いますが、アメリカでは、我慢やストレスが一番良くないので好きなことを好きなだけして生きましょうというスタンスが根付いていることや、医療職者だけでのサポートではなく、地域のみんなでサポートしている感覚が、素敵なことだなと思いました。

尊厳死を選択した小児がんの男の子

死を迎えるその日が近づくと、男の子は、「ぼくが死んだあと、どれくらいママをサポートしにきてくれるの?」「ママが1人になった時のことが心配だから、ママのために来てほしい」と看護師に伝えました。
母子家庭であったため、自分がいなくなったあとの母親の精神状況を心配していたようです。

日本では個人情報に規制があるためか実施されている場面を見たことがないですが、尊厳死を選んだ人のためのチーム内では、その日訪問している看護師は1人でも、動画配信でほかのメンバーと繋いで顔を見て会話できるようになっていたり、その動画を保存しておき、「見れる時が来たら最期を見てあげてね」と家族に動画をプレゼントするそうです。

男の子の死後2ヶ月はちゃんとサポートするということを約束し、男の子の死の時は、その子が好きな歌を家族やチームのみんなで歌い、見送りました。
男の子との約束の通り、チーム内の看護師と介護士で母親のサポートのためのプランが始まります。
死を迎えた日でサポートが終わるのではなく、本人が望んでいたことを完了するまでサポートは続きます。

アニマルセラピー

犬がデイサービスに来て高齢者と交流したり、病院で猫を飼っているという例もあるそうです。
アメリカで、アニマルセラピーにあたる犬や飼い主は、厳しい訓練を受けて合格し、ボランティアで活動しています。
シェルターで保護されている犬をボランティアで治療する動物病院があり、保護犬がアニマルセラピー犬になっているのだそうです。
病院で猫?と思った方もいると思いますが、猫は柑橘系の香りを嫌うということで猫アレルギーの人の部屋の入り口には柑橘系の芳香剤を置き、猫が近寄らないようにしていて、猫には「このクッションの上に乗る」という訓練をされ、寝たきりの患者のベッドの上にそのクッションを置いておくと、ふらっと猫がやってきて猫に癒されるそうです。
人生の最期にボランティアで来てくれた犬に自分の財産を寄付したいという方もいるようです。

本人がやりたいことを一番に尊重することがベースにあるので、病院に入院中でも、ペットがお見舞いにくることもたびたびあるそうですよ。

ボランティア精神

今回の講演の中で、「本人が生きたいように生きる」ということが根付いていると同時に、ボランティアという無償の愛も根付いているということを強く感じました。
アニマルセラピーもボランティア、前述したがん患者への焼肉もボランティア。
看護師や介護士が、その資格にプラスして取得できるもの中に、アクティブディレクターという資格があり、本人がやりたいことをデザインする仕事をします。
アクティブディレクターが、患者の希望を聞いていく中で、誰かの力を借りたい時には、フリーペーパーに「こんなことをやりたい人がいる」とボランティア募集をすると、名乗りを上げてくれた人たちで実現させていくんだそうです。

療養中にある人のケアに、医療関係者以外も積極的に参加している現場の話を聞き、とてもステキなことだと思いました。

GOODWILL

NPO法人が運営するリサイクルショップなのですが、売り物は全て寄付でまかなわれています。
自宅の不用品をショップに寄付し、安価で販売されます。
無職の人の雇用の場をつくり、その売り上げ金は、医療費の補助や、ホームレスの支援や職業訓練などの寄付に当てられています。

尊厳死を選ぶと、死を迎えるまでの期間にかかるお金が必要になります。
そのお金が足りなくなる場合は、GOODWILLに申請すると援助してもらうことができるそうなんです。

つまり、GOODWILLで買い物をすることも、寄付になるのです。
GOODWILLを知らなかったので、講演後に検索してみると、「便利なリサイクルショップ」という位置付けでの日本人が書いた記事を多数見ました。
便利なリサイクルショップではあるんですが、ドネーションの文化が根付いているアメリカならではのリサイクルショップですね。

ほかにも、刺激的な話題がたくさんありました

白衣を着ない

ERやOPE室は別ですが、白衣を着て看護師が働く場は多くないんだそうです。
患者さんの生活の場を大切にしているので白衣を着ないそうで、。講演中に写真をたくさん見せていただきましたが、本当に普段着でした。
白衣やスクラブを着る場ももちろんありますが、まぁカラフルなこと。

ろうあ者のケア

目が見えず耳も聞こえない高齢者と手話をしている方の写真。
ケアに当たっている方も、ろうあ者。
看護師や介護士が手話を覚えてケアに当たるのではなく、ろうあ者が看護や介護の資格を取得してケアに当たっているそうです。

エレベーターのボタン

新しいエレベーターのボタンが、凹凸のないデザイン性の高いものになっているものが、日本では多いように思います。
点字がついていることもありますが、中途で失明して、今までの生活とは全てが変わった中で、点字を習得して自由に使えるようになるには、大変な努力が必要です。
アメリカのエレベーターは、ボタンの階の数字に凹凸があり、目が見えなくても数字がわかるようにしてあるものが多いそうです。
たしかに、そのほうが親切だなと思いました。

車椅子で出歩く人が多い

街の中で、車椅子で外出している人を多く見かけるそうです。
車椅子利用者の人口が多いわけではなく、車椅子でも出かける人が多いんだそうです。
これまで書いてきたように、地域の人にボランティア精神が根付いていて、外出しやすい社会になっているんですね。

老人ホームからもデイケアに通う

一つの建物の中に閉じこもっているのではなく、どんどん外出しようという考えなので、施設入居者もデイケアに通います。

オムツをするかどうかも本人の意思

日本では、失禁するようになったら、本人ではなく家族や医療職者がオムツを履かせようと決めることがほとんどです。
アメリカでは、オムツを履くことでトイレまで行くという行動の機会を奪うことになることや、本人の意思を尊重する点からも、オムツを履くかどうかも本人が決めます。
オムツを履く、下着に尿取りパットをつける、もしもの時のためにシートは敷いておく、など、本人が決めるそうです。

ここで、オムツに尿取りパットを重ねる日本の方法は異様な光景だという話をしていました。
昔は布オムツが主流で、紙オムツが日本にも参入してきた時に、「紙オムツは介護の手抜き」と言われ、日本は世界的に見ても寝たきり人口が多い国なのに、「紙オムツよりも布オムツの方がえらい」という風習がありました。
しかし、実際に介護に当たっている人は、布オムツで介護を何年も続けることが大変です。
そこで、紙オムツのメーカーは、布オムツの中に尿取りパットを入れたら楽ですよと、尿取りパットを売り出しました。
布オムツで頑張ってるように見えつつ、尿取りパットを使うことで負担を軽減でき、尿取りパットが人気になりました。
尿取りパットの便利さを知ってしまったので、紙オムツが主流になった現代でも、紙オムツに尿取りパットを重ねるということになってしまったとのことです。
講師のかたぎりさんは、アメリカで看護師の資格を取得するために学校に通っていた時に、日本はなぜ吸水性がよくかつ通気性を考えて作られているオムツに尿取りパットを重ねているのかと質問され、答えられなかったと話していました。

「本人が生きたいように生きる」「本人が生きたいようにサポートする」という価値観で看護が行われていることや、ボランティアやドネーションの文化が根付いていることが、私がここ数年で感じてきたこととリンクしていて、とても面白い講演でした。
講師のかたぎりさんも、アメリカのほうが全てがいいというわけではないし日本にも日本の良さがあるとおっしゃっていました。

時代変化の中で、生き方を考える人も増えてきているように思います。
医療や福祉の現場も、日本ならではの技術や気配りは大事にしつつ、「こうあるべき」「こうじゃなきゃだめ」というものから「本人の意思を一番に尊重」という考え方も、もっと取り入れられたら、より一層よい最期を迎えられるような環境になれるんじゃないかと思いました。

コメント

タイトルとURLをコピーしました